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スティムソン長官は、計画(*マンハッタン計画)の概要を説明し、この委員会の目的と機能について、長官の見解を表明した。大統領(*トルーマン)の承認のもとに、長官が指名することによって、委員会が設立された。それはこの問題全体(*原子エネルギー)に関する、戦時の一時的な統御、後の公式発表について研究・報告し、また戦後における研究・開発、統御問題に関する(*大統領への)勧奨及び調査、またこれら目的に沿った法制化について調査・勧奨することである。
この委員会は、現在時点の事実に鑑み、暫定委員会(*Interim Committee)と命名されるが、適切な時期に、議会が(*原子エネルギー)の全体分野において、その統御、規制、管理監督をなす恒久組織を設立するだろうからである。
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すなわちスティムソンの見解では、戦争後、議会が原子エネルギー問題全体を担当する恒久組織を作るだろうから、現在は"Interim"(暫定)とする、と言うことになる。なお戦後1946年8月、スティムソンが予想したとおり、マンハッタン計画全体をそっくり引き継ぐ形で、米原子力委員会―Atomic Energy Committee-が設立される。) |
委員会がなすべき(*大統領への)報告及び勧奨は、まず陸軍長官に送付され、陸軍長官を通じて、大統領になされる。
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本来陸軍長官を通じてのみ、委員会の見解は大統領に反映される、という一種の抜け駆け禁止条項である。しかし、ジェームズ・バーンズは、少なくとも1回はこの抜け駆けを行ったことが確認されている。) |
委員会のフルメンバーは以下の通りである。
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ヘンリー・L・スティムソン閣下 陸軍長官、委員長
ラルフ・A・バード閣下 海軍次官
バニーバー・ブッシュ博士 科学研究開発局 局長
ジェームズ・F・バーンズ閣下 大統領特別代表
ウイリアム・L・クレイトン閣下 国務長官補佐官
カール・T・コンプトン博士 科学研究開発局・現業事務所 所長
ジェームズ・コナント博士 国家防衛研究委員会 委員長
ジェージ・L・ハリソン氏 陸軍長官特別顧問 委員長代理 |
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スティムソンはこの時陸軍長官として、トルーマン政権の事実上のNo.2だった。ラルフ・バードは、海軍次官と言うことになっているが、アメリカ金融界の大物の一人である。バニーバー・ブッシュは、この時戦時における、軍産学複合体制をしっかり連携させる最大のキーパーソンだった。バーンズは上院議員を辞めたばかりで、この時は故ルーズベルト大統領時代の肩書きのまま、トルーマンの大統領特別代表だった。この2ヶ月後の7月、ポツダム会談を直前にして、国務長官に就任し、スティムソンに代わって、トルーマン政権No.2となる。ウイリアム・クレイトンも国務長官補佐官という肩書きだが、その実アメリカビジネス界の大物の一人である。コンプトンはこの時、マサチューセッツ工科大学の学長であり、学術文化振興を目的としたカーネギー協会の理事長だった。またバニーバー・ブッシュが牛耳る科学研究開発局(Office of the Science Research and Development-OSRD)の4つの現業部門のうち現業活動事務所の統括責任者として軍事用レーダーなどの研究開発を担当していた。ジェームズ・コナントはバニーバー・ブッシュの盟友とも言うべき存在で、この時ハーバード大学学長である。ジョージ・ハリソンは、スティムソンの忠実な補佐役で、この時陸軍長官特別顧問と言うことになっているが、実際はニューヨーク生命保険会社の社長であり、アメリカ金融界の大物だった。) |
11時15分に陸軍長官が委員会を辞去したので、ジョージ・ハリソン氏の執務室に場所を移して、ハリソン氏を委員長代行として、委員会を再開した。
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この日、委員会は9時30分にはじまっている。スティムソンは11時15分に委員会を後にしているから、約1時間30分以上にわたって、委員会の目的や機能について熱弁をふるったことになる。またこの日、委員はすべて各界の大物揃いだから、特別な紹介は必要なかったものと思える。) |
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